永井隆博士没後60年企画展
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原爆復興70周年記念-長崎医科大学 原爆被災写真・資料展

展 示  資料展示
   前期:7月14日(火) 〜 7月18日(土) 10~17時
 後期:8月 6日(木) 〜 8月10日(月) 10~17時
原爆診療録 原爆診療録
佐賀県出身者など原爆被災後に帰佐し、旧佐賀県立病院(現在の佐賀県医療センター好生館)で受療した人の記録である。全75名の記録のうち7名は広島、65名は長崎での被爆者、3名は原爆投下後の長崎滞在者である。患者は三菱兵器工場、三菱製鋼、三菱造船所等で勤務していた人、教員、学生や生徒などであり、長崎医科大学附属医院で被爆した学生も含まれている。記録は被爆直後から翌年1月までの記録であり、症状が原子爆弾によるものか否かの別、主な症状、被爆時の状況等が記録されている。主訴には発熱、皮下出血、脱毛、全身倦怠感、口内炎、下痢など放射線傷害と考えられるものが多く、33名が入院。治療としてはリンゲル、ブドウ糖、ビタミン剤注射。貧血や白血球減少がある18名には枕元輸血が施行さていた。8月から9月の早期の死亡は20名。21歳女性と49歳男性には病理解剖が施行された。重度の放射線被爆であったにも関わらず故郷に逃げ帰り、快復することなく亡くなってしまった様子がうかがえる。また、9月に入ってからの記録には血液検査を希望しての来院も多く、放射線の被曝影響が明らかになってきているなか、放射線被曝による発症を心配している様子がうかがえる。
所蔵 佐賀県立医療センター好生館

原子爆弾救護報告 修復版 原子爆弾救護報告 修復版 詳細
第11医療隊隊長永井隆が学長に提出した報告書。8月12日から2か月間、三山で診療した患者125名の詳細な記録と放射線による病変の特徴や原爆の将来などについてまとめられている。
 

原子爆弾災害調査票 原子爆弾災害調査票
1945年10月から11月にかけて、調 来助 教授を中心に生残りの医局員と学生50人で原爆直後の症状などの聞き取り調査を行った。爆心から3km以内およびその周辺地域の被災者5778名分で26冊に整理された。
 

長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察 長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察
調来助長崎医大教授が、1945(昭和20)年10月下旬から半月間の調査内容を、その後約1年間かけて執筆したもの。長崎の被爆者を対象にした医学的調査としては、最も早い時期の調査である。英文の抄訳が米軍の医学雑誌「ミリタリーサージョン」に掲載されたが、原文の形では長く未発表だった。1982(昭和57)年、被爆当時の日記とともに「医師の証言 長崎原爆体験/調来助・吉澤康雄」(東京大学出版会)に全文が掲載された。
所蔵 調朝子

原爆被災復興日誌 原爆被災復興日誌 詳細
第6医療隊隊長調来助が昭和20年8月13日から書き始めた日誌。原爆被災の状況とともに医大復興に奔走したことが詳細に記録されている。
 

「長崎原爆の記録」原稿 「長崎原爆の記録」原稿
泰山弘道著、原稿用紙427枚
 

長崎大学医学部救護班編成に関する件 長崎大学医学部救護班編成に関する件
新興善医院および諫早医院における会議議事録。
 

大村海軍病院における長崎医大日記 大村海軍病院における長崎医大日記
昭和20年9月24日から12月2日の間の大村海軍病院における長崎医大の医師や学生の日々の行動を週番が記録したもの。
所蔵 附属図書館医学分館

永井隆博士の私信(返還資料) 永井隆博士の私信(返還資料)
1950年2月7日、永井隆がサムエル・ベルグ先生にあてた手紙
米国陸軍病理学研究所 返還資料

残存放射能測定報告書 残存放射能測定報告書 残存放射能測定報告書 詳細
九州帝国大学篠原健一教授が昭和21年9月に長崎医科大学の放射線測定を行った報告書を永井隆が学長宛て報告したもの
所蔵 附属図書館医学分館

診療班カルテ 診療班カルテ
復員青年医師9名が古屋野学長の許可を得て9月30日から巡回診療を行った。カルテ137枚には被爆距離や白血球数が記録されている。
所蔵 附属図書館医学分館

日米合同調査団診察記録 日米合同調査団診察記録
長崎医科大学で被爆した161名の診察記録。
所蔵 附属図書館医学分館

文部大臣弔辞 文部大臣弔辞
昭和20年11月2日、文部大臣前田多門の長崎医科大学の殉難者に対する弔辞。
 

日本育英奨学金戦災死亡者に関する綴 日本育英奨学金戦災死亡者に関する綴
昭和24年2月、学生課で作成された戦災死亡者の育英資金返還の免除願いなどの資料
 

教授会開催通知 教授会開催通知
角尾学長より内藤教授へあてた昭和20年8月8日の教授会開催通知。議事は論文受理と論文審査。報告事項は学長の出張報告。
 

原子爆弾当時人員一覧表 原子爆弾当時人員一覧表 詳細

職員・学生の生存者と死亡者の人数
職員:生存411名、死亡346名。入院患者・付添人:生存54名、死亡73名。学部:生存189名、死亡146名、不明32名。医専:生存144名、死亡254名、不明26名。薬専:生存171名、死亡40名。



ENGLISH
  長崎原子爆弾の医学的影響  
  原子爆弾救護報告書:永井隆  
  原爆の医学的影響:西森一正  
  私の原爆体験と原爆障害の大要:調 来助  
  調博士の調査資料  
  マンハッタン最終報告書  
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  医科大学と附属医院の被害状況  
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