原子力事故時におけるヨウ素剤予防投与の実施体制の概要について

 

 はじめに

 1999年9月30日、全く予期せずに起きた東海村JCO臨界事故は、原子力産業の安全確保と緊急被ばく対策問題について警鐘を鳴らした。更に2001年9月15日のニューヨーク世界貿易センター等に対する同時多発テロ事件は世界中を震撼させたが、同時に核テロの可能性を誰もが身近に感じる契機となった。まさに世界はいつどこでも放射線被ばく事故や事件に遭遇する危険と隣り合わせの原子力時代だと再認識される。
 我が国ではJCO事故以降、原子力災害対策特別措置法が制定され、事故想定に基づく対策が関係省庁内で協議され、安全確保の考え方として防災指針へ反映されている。しかし、『原子力』即危険という一般人の危惧は払拭されにくく、『原発事故』即ヨウ素剤服用というその過信的かつ短絡的な考えが蔓延しているのも事実である。その一例として事故対策としてルゴールなどのうがい薬の服用を推奨する誤った記載などがある。
 今回は、従来の原子力発電所周辺防災対策専門部会が平成13年6月に再編されたのを受け、新たに原子力施設等防災専門部会が設置され、さらにその中に被ばく医療分科会、そしてヨウ素剤検討会が設けられ、それぞれの中で審議を重ね、2002年4月末の原子力安全委員会で承認され、防災指針に『安定ヨウ素剤の予防服用』として反映されたので、体制作りの指針となるその内容について概説する。

 ヨウ素剤検討会の審議内容の主な柱

 甲状腺への放射線の影響は、通常起こる『外部被ばく』による場合と、原子力災害時に直接甲状腺に取り込まれた放射性ヨウ素の『内部被ばく』による場合とがある。原則として安定ヨウ素剤の予防服用は、放射性ヨウ素の内部被ばくに対してのみ有効である。すなわち甲状腺への放射性ヨウ素の被ばく量をあらかじめ低減、阻止することで将来にわたり引き起こされる放射線誘発甲状腺がんのリスクを回避する為の予防策である。しかし、大量ヨウ素剤の予防服用効果が必ずしも前、あるいは有効でないことへの注意を喚起する必要がある。
 本検討会では、特にチェルノブイリ原発事故後の対応を中心に、内部被ばくの対策を議論してきたが、最も放射線の影響を受ける新生児や乳幼児へのヨウ素剤の服用対策は、慎重の上にも慎重な準備が必要である。そのことは従来の日本の現状では全く考慮されていなかった為、以下の流れの中で審議が行われた。

(1) 安定ヨウ素剤の効果及び副作用
(2) 放射線被ばく時年齢と甲状腺がんとの関係
(3) 安定ヨウ素剤に係る防護対策を開始するための線量
(4) 安定ヨウ素剤の服用対象及び服用方法

 等について医学的見地から検討し、甲状腺の内部被ばくに対する安定ヨウ素剤の予防的な服用をリスク・ベニフィットバランスの考え方から防護対策の一つとして位置付けた。
 さらに議論の進め方として、放射線の甲状腺への外部被ばくの影響についても考慮し、広島、長崎の原爆被爆者のデータや世界の放射線被ばくの人体影響についての報告から総合評価し、この外部被ばくの甲状腺への問題を慎重に協議した。このことは外部被ばくが、放射性ヨウ素の甲状腺への内部被ばくに比べて、放射線の影響を厳しく評価することを考慮したものである。最後に実行性の面から国内の現状を十分考慮し、既存の防災対策の活用と同時に、今まで弱者、すなわちこの場合は新生児から小児にいたる年齢層への優先的なヨウ素剤予防服用の必要性を提言し、一方では40歳以上の放射線内部被ばく者に対するヨウ素剤服用の不必要性を明確にした。しかし、被ばく線量の予測から行われる避難や退避など他の総合的な防災計画と照合し、この安定ヨウ素剤予防服用についての実行面からは更なる検討が必要である。

 防護対策の基本的な考え方

 放射性ヨウ素による甲状腺の内部被ばくに対する防護対策については、原子力災害時に放出された放射性ヨウ素の吸入による甲状腺への影響が著しいと予測された場合、災害対策本部の判断により、屋内退避や避難の防護対策とともに安定ヨウ素剤を予防的に服用することとしている。その中でも被ばく後の甲状腺がんの発生確率は、被ばく時年齢で異なり、乳幼児の被ばく者で増加するが、40歳以上では増加しないため、年齢に応じて安定ヨウ素剤の服用対象を定めている。ヨウ素剤の服用による副作用は稀ではあるが、副作用を可能な限り低減させるため、年齢に応じた服用量を定めるとともに、服用回数は原則1回とし、連用はできる限り避けることとしている。あらかじめ各家庭にヨウ素剤を事前配布しない理由は、乳幼児への水溶液調整問題は、医薬品としての管理が必要な点であり同時に、生命に危険を及ぼす重篤な副作用のおそれがある者には、安定ヨウ素剤を禁忌とし避難を優先させる必要がある為などである。その禁忌対象疾患をヨウ素過敏症の既往歴のある者、造影剤過敏症の既往歴のある者、低補体性血管炎の既往歴のある者、または治療中の者、ジューリン疱疹状皮膚炎の既往歴のある者、又は治療中の者に限定した。一方防災業務関係者については、その防災業務の内容、甲状腺がんと甲状腺機能低下症の発生リスクを考え合わせ、安定ヨウ素剤を予防的に服用することを提言している。

 ヨウ素剤服用のタイミング

 以上の原則に従い、安定ヨウ素剤予防服用に係る防護対策は、甲状腺が放射性ヨウ素で被ばくする前に迅速に服用を開始し、適切な対応をする必要がある。このため、防護対策を開始するための線量のめやすを『指標』として定め、退避や避難などの他の防護対策とともに、より実効性のあるものとしておく必要がある。
 はじめに国際機関であるIAEAやWHOの示す勧告について検討を重ねた。IAEAでは、実効性の理由から、安定ヨウ素剤予防服用に関して、介入レベルとして回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量100mGyを、対象者の年齢に関係なく推奨している。この「回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量」は、防護措置を行わなかった場合に予測される被ばく線量から、防護措置を行った後に予測される被ばく線量を差し引くことにより表わされる。例えば、防護措置を行わなかった場合に予測される被ばく線量が100mGyとした場合、防護措置として安定ヨウ素剤を放射性ヨウ素の体内摂取前、又は直後に服用すると、甲状腺への集積を90%以上抑制できるので、甲状腺の被ばく線量を90mGy以上回避することが可能となる。さらに各国の安定ヨウ素剤服用に係る介入レベル等は、IAEAが推奨している安定ヨウ素剤予防服用の包括的介入レベルである、回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量100mGyを考慮して、各国の実状に合わせて提案されている(参考資料1)。最近のWHOによるガイドラインでは、チェルノブイリ事故による若年者の健康影響調査の結果を踏まえて、若年者に対する服用決定に関して、IAEAの包括的介入レベル100mGyの10分の1である10mGyを推奨し、19歳以上40歳未満の者については、100mGyを推奨しているが、二重スタンダードの問題以上にヨウ素欠乏の地域での原発事故対策とソ連時代の混乱と秘密の中での線量測定、並びにその後の複雑な計算式による集団被ばく線量評価問題、さらに低線量被ばくの実態が科学的にも解明されていない現状では、いたずらに混乱を引き起こす小児甲状腺被ばく予測線量10mGyは採用する根拠が乏しく、実効性にも問題があることなどから総合的に判断し、我が国ではIAEAの勧告を支持する結論に至っている。
 さらに重要な点は、安定ヨウ素剤予防服用を開始するための指標としては、屋内退避及び避難等に関する指標として、我が国の防護対策として既に提案されている、小児甲状腺等価線量の予測線量を用いることとしている。この場合予測線量とは、放射性ヨウ素の放出期間中、屋外に居続け、なんらの措置も講じなければ受けると予測される線量のことである。したがって、この予測線量は、防護対策を講じられた個々の周辺住民等が実際に受けるであろう甲状腺等価線量を、相当程度上回るもの、また、回避可能な線量より高い線量の被ばくを回避できるものと考えられる。さらに、IAEA SS-109で用いられた計算の方法で、安定ヨウ素剤の服用における防護上の介入レベルを試算すると、放射性ヨウ素の吸入による甲状腺被ばくが、50mGy以上の時に、安定ヨウ素剤を服用すると、副作用のリスクを上回り有益となることも参考とした。この50mGyは、外部被ばくに対する試算結果であり、内部被ばくに比べ厳しいもの(介入レベルとして、より低い線量となる)である。
 これらの検討を踏まえ、我が国における安定ヨウ素剤予防服用に係る防護対策の指標として、年齢に関係なく全ての対象者に対し、放射性ヨウ素による小児甲状腺等価線量の予測線量100mSvを提案する。

 実際の安定ヨウ素剤予防服用に当たっての注意点

 年齢別の服用量の問題については、ポーランドの事例やWHO、IAEAの勧告を重視したが、すでに我が国が食事中の日常ヨウ素摂取が豊かな状況にあることも考慮し、十分過剰飽和の成人量30mgヨウ素を基準に下記の容量を決定した。

(1) 安定ヨウ素剤予防服用に係る防護対策の指標
 全ての対象者に対し、放射性ヨウ素による小児甲状腺等価線量の予測線量100mSvとする。

(2) 服用対象者
 40歳未満を対象とする。
 ただし、以下の者には安定ヨウ素剤を服用させないよう配慮する。
 ヨウ素過敏症の既往歴のある者、造影剤過敏症の既往歴のある者、低補体性血管炎の既往歴のある者、又は治療中の者、ジューリン疱疹状皮膚炎の既往歴のある者、又は治療中の者。

(3) 服用回数
 1日/1回を原則とする。
 なお、2日目の服用を考慮しなければならない状況では、避難を優先させること。

(4) 服用量及び服用方法
 以下の表に示す。

対象者
ヨウ素量
ヨウ化カリウム量
新生児(注1)
12.5 mg
16.3 mg
生後1ヶ月以上 3歳未満 (注1)
25 mg
32.5 mg
3歳以上 13歳未満 (注2)
38 mg
50 mg
13歳以上 40歳未満(注3)
76 mg
100 mg

(注1) 新生児、生後1ヶ月以上3歳未満の対象者の服用に当たっては、医薬品ヨウ化カリウムの原薬(粉末)を水(滅菌蒸留水、精製水又は注射用水)に溶解し、シロップを適当量添加したものを用いることが現時点では、適当である。

(注2)3歳以上13歳未満の対象者の服用に当たっては、3歳以上7歳未満の対象者の服用は、医薬品ヨウ化カリウムの原薬(粉末)を水(滅菌蒸留水、精製水又は注射用水)に溶解し、シロップを適当量添加したものを用いることが現時点では、適当である。また、7歳以上13歳未満の服用にあたっては、医薬品ヨウ化カリウムの丸薬1丸(ヨウ素量38mg、ヨウ化カリウム量50mg)を用いることが適当である。

(注3) 13歳以上40歳未満の対象者の服用に当たっては、医薬品ヨウ化カリウムの丸薬2丸(ヨウ素量76mg、ヨウ化カリウム量100mg)を用いることが適当である。

(注4) なお、医薬品ヨウ化カリウムの製剤の実際の服用に当たっては、就学年齢を考慮すると、7歳以上13歳未満の対象者は概ね小学生に、13歳以上の対象者は、中学生以上に該当することから、緊急時における迅速な対応のために、小学1年~6年生までの児童に対して一律、医薬品ヨウ化カリウムの丸薬1丸、中学1年以上に対して一律、医薬品ヨウ化カリウムの丸薬2丸を採用することで支障はない。また、7歳以上であっても丸薬を服用できない者がいることに配慮する必要がある。

(注5) 40歳以上については、放射性ヨウ素による被ばくによる甲状腺がん等の発生確率が増加しないため、安定ヨウ素剤を服用する必要はない。

(注6) 医薬品ヨウ化カリウム、滅菌蒸留水、精製水、注射用水、シロップ等は、原子力災害時に備え、あらかじめ準備し、的確に管理するとともに、それらを使用できる期限について注意する。

 おわりに

 今回の安定ヨウ素剤予防服用に関する報告書は、原子力災害時における、放射性ヨウ素による甲状腺への内部被ばくを予防するための安定ヨウ素剤服用の必要性と有用性について、医学的見地から検討したものであり、すでに防災指針の改訂に組み込まれている。
 最も重要な点は、安定ヨウ素剤服用の措置については、新生児や乳幼児を最優先とすべきであり、同時に副作用の問題などが軽視されることなく、いたずらにヨウ素万能薬という誤解や偏見を払拭させる為の普段からの正しい知識の啓蒙や、防災訓練時のあり方を提言していることである。
 本報告書では、安定ヨウ素剤予防服用に係る考え方についての基本的な枠組みを示したが、その内容を具体的に実効性のあるものとするためには、数多くのハードルが存在する。特に自治体における各々の実情を踏まえた、安定ヨウ素剤予防服用に係る実効性の検討が必要であると同時に、周辺住民、防災業務関係者、医療関係者などへの情報伝達と具体的なマニュアルの作成などが今後必要である。

(日本アイソトープ協会 Isotope News 2002年7月号 p10-14)