第4章 今回患者の呈したる症状
第1項 症状の分類
症状の特徴
原子爆弾による人体損傷は爆圧によるものと放射線によるものと2種である。一般火薬爆弾に於けると、異る点は破片創の無き事及び放射線障害の有る事であり、更に火薬爆弾は爆裂時にのみ作用するに対し原子爆弾は爆裂時に、勿論最大作用を現わすが、後引続き長時間二次的放射線を発して持続、減衰的に作用する点が特異である。又症状の発現も即時に見られるものが多いけれども放射線障害は潜伏期を有するので後日に至って種々の症状を現わす点が特異であった。
直接障害と間接障害
症状は極めて多種多様であった。余等はこれを各角度から観察して次の如く分類して見た。作用源から見て直接的障害と間接的障害とに分つ。前者は原子爆弾による直接障害であるが、後者は稍趣を異にし、原子爆弾により変化した草を取扱った為に皮膚に湿疹を生じたもの、又変化した野菜類を食べた為に起った障害、被爆により身体の抵抗力が減退した為化膿し易く蚊蚤の刺痕等が膿疱疹となるものの如き皮膚障害をさすのである。
1次的障害と2次的障害
又1次的と2次的とにも分けられる。爆裂によって起された障害が1次的である。その後長時日爆心付近に残存放射線がありその作用により、障害されたものが2次的である。或人は1次的障害を受けた後引続き現場に壕生活をなして2次的障害をも併せ受けた。或人は爆撃後に現場に後片付等の為に来て2次的障害のみを受け発病した。2次的障害は勿論放射線障害のみである。
発症期による分類 即発性 早発性 遅発性 晩発性
症状の発現時期により、即発性、早発性、遅発性及び晩発性障害に分かつことが出来る。即ち爆裂瞬時に受けた損傷は即発性のもので即死、類火傷、外傷、精神異常、宿酔の如きが之である。早発性は概ね1週間以内早きは翌日頃より発症したもので口唇膿庖疹、口内炎、腸炎の如き消化器障害及び、衄血、血、吐血、下血、の如き出血性素因及び貧血等の血液障害であって、これは極めて重篤且つ奔馬性に経過し多くは1週間以内に死の転帰をとったものである。第3週以降皮下出血斑、歯齦出血性潰瘍、咽頭潰瘍、高熱、脱毛、を発現し一般症状重篤なるものが続出した。又前述の蚊蚤の刺痕の膿疱疹の如きものこの頃より続発した。萎縮腎様症状を呈する者も出始めている。これ等を遅発性と、称し度い。晩発性は1年以上、数10年後に発現を予想せられる皮膚潰瘍、皮膚癌の如きもの、或は生殖腺障害による畸型児誕生の如きものを言う。
第2項 各症状の詳細
今此等諸症状について観察した点を述べるが既知の如く余等は一切の器材を喪失し唯1個の小外科嚢と応急衛生材料を所持しているに過ぎなかったので、例えば血液検査の様な簡単な事項すら施行するを得なかったから、学問的に正確な記述とは称されない。
(イ)即死
即死 爆圧死
爆心より1粁以内において路上、田畑、庭園、屋上等に在って全身曝露していた者は即時或は短時間内に死亡した。その多くは爆圧による死亡と推定される。眼球脱出、腹壁破裂等も見られたが之は爆圧により圧し潰し出されたものであろうか。地面に強く叩き付けられたものか、或は吹き飛ばされて打ち付けられたものか、頭蓋骨折、内臓破裂、内出血等と推定される屍体が多かった。
熱死
熱線により所謂焼き殺されたものがあるか否かは爆心地点の屍体を見なかったから分らぬが、爆心地より7百米の距離で死んだ吾が科の山下看護婦の顔面は黒焦に稍近い色にまで変っていたが毛髪は頭巾を被っていなかったにも拘らず焦げたり縮れたりしていなかった。勿論身体全面の皮膚は剥離していた。全身皮膚の放射線による広範囲の損傷も死因の1つに数えられようが、爆圧の方が主力であろう。
圧死 焼死
それから倒壊家屋の下敷による圧死や、焼死等も、この中に入れて置こう。吾が久松看護婦長はかの瞬間濃厚に発生した瓦斯により呼吸が塞りかけ、慌てて水で合嗽したのであるから、或は瓦斯による窒息死もあったかも知れない。
(ロ)類火傷
火傷
3粁以内において爆弾に面し曝露してみた皮膚は1種特有の損傷を呈した。一般には之を火傷と称している。勿論強烈な熱線を受けたのであるから火傷を生じたのである。然し熱による火傷の他に作用が加わっているのではないかと余等は思うのである。と言うのは被爆直後多数救護した患者の皮膚の状態は火傷とは1種異なる印象を与えたからである。
爆圧による剥離
余等は之は爆裂時に発生した真空陰圧によって皮膚が剥離したのではないかと考えた。或いは強力な爆圧により衣類が千切れ飛ばされると同時に千切り離されたのではないかと疑った。之は然し誤りと気付いた。もしそれならば被射面だけ剥離されるわけがなく、全身皮膚に起った筈である。此の2つの事を組合わせて考えたら如何であろう。即ち熱線が先ず来りて皮膚に火傷を生じ、その為皮膚は脆弱となる。次に強力な爆圧が到来して皮膚に作用したが、健康部は其侭残り、火傷部のみが千切れ剥離したのである。即ちこの皮膚損傷は火傷と爆圧との共同作用の結果である。
黒色部強反応
さて此焼線は白色部により反射され、黒色部によく吸収された。例えば吾が井上看護婦の屍体を検査すると、両眼を見開いて死んでいたが、その白眼部即ち結膜部は異常なく黒眼部即ち虹彩のある角膜部は焼けて穿孔していたのである。彼女は肝が据っていたから不敵にも敵機を睨みつけていて熱線に射られたのであろう。余等はまた黒色模様の浴衣を着ていた人が模様通り火傷を受けているのを見た。
毛髪の態度
だが火傷と言うと余程の熱である。毛髪の焼け縮れたのを見ないのは如何なるわけであろうか。焼け縮れたは爆圧の為に吹き飛ばされてしまったのであろうか。それにしては皆長い髪を有っているのである。髪は黒色だから皮膚より以上に反応したに違いない。それなのに皮膚損傷は強く毛髪は健在している事実は如何説明するか。
皮膚損傷状態
今其の皮膚損傷状態を述べると、顔面は不規則に断裂し、四股は長軸方向に長く幾条にも裂け関節部等で僅かに付着し、或いは端が縮れてぶらぶらし、それは真皮下において其底から剥離し、料理のワニザメの湯引きと称する物に似て、べろべろに縮み上り、千切れぼろをぶらさげた様である。その剥離部からは出血しているのである。皮膚表面の色は他の体部と同様に一様に紫褐色に変化しているが格別充血を見なかった。水疱は最初は殆ど見なかった。患者に「熱い」又は「熱かった」と訴えた者はなかった。皆一様に「寒い寒い」と叫んだ。真夏の真昼に寒がったのである。この症状は火傷とは少し異なるではあるまいか。
2次的原子爆弾
今この症状の原因として次の如き事が考えられないであろうか。それは皮膚乃至皮下に於ける2次的原子爆発とでも言うべき現象である。爆弾から粒子団例えば中性子の大団隊が猛烈な勢で飛来し、人体皮膚に当り、更に組織内深く透入し、皮下付近において、其処の組織の原子に激突し、ここに2次的の爆発を起す。或はその勢力を他の勢力に変じて組織を破壊する。これが少し早く到達した熱線の作用により脆弱にされた皮膚を剥離断裂せしめたのである。この考え方は全く余等の想像であるが一般の批判を求めたい。とにかく余等はこの種の皮膚損傷は単なる熱による火傷以上に激甚な損傷であるを認め、単に火傷と称し良くないので、敢て類火傷と称するのである。
粒子団による火傷
更に1例特異なのがある。これは爆風と共に火の雨が降って来て、その中の二個の火滴が皮膚に当ったために火傷したと言うのである。この滴の大いさは指頭大に見えたそうである。その傷を見ると火滴の当った点を中心にかなり広く犯されていた。
治療を続けた処周囲の部分は速かに治癒したが、丁度火滴の当った点はなかなか治癒しなかった。この火滴は一体何であろう?灼熱した放射能物質破片であったろうか、それならば将来此処に放射線による潰瘍が生ずるかも知れない。単なる弾体破片であったろうか。或は同時に焼夷剤を撒布したのであったろうか。
火傷状損傷を受けた時の感じを吾が施雇員は棒で打たれた様であったと言う。それでもその損傷面の広さは左前膊において約4平方糎に過ぎないものである。その感じは熱線の如き電磁波によるものと考えるよりも、粒子団の如き固形物の衝突を考えたいと言っている。尚火災による普通の火傷もあった。
(ハ)外傷
外傷
倒壊家屋或は器具の下敷になった者、ガラス破片に切られた者が主であるが、救助者が殆どなかった為、自力で脱出し得た軽傷者が傷者として救護所に収容され、重傷者は殆どすべて次いで覆った焔に焼殺され尽した。従って今回は火薬爆撃と異り外傷の重傷者は少い。ガラス片は、火薬爆撃によるものよりは著しく少い。その刺透力は比較的強大であった。
(ニ)精神異常
精神異常
被爆直後、混乱最中に廊下の一隅をふらふら歩き回り、余がその肩を叩き名を呼んでも応答せず眼を虚に依然歩き回る看護婦があった。通路に裸体にて腰を下し「子供 子供」とだけ呟き、3日間其侭の姿勢でいた老婆がある。純心女学校の奉安殿の欄干に腰かけ、美声を張上げ、手振りをしつつ関の五本松を歌い続ける若い裸体の女があった。尚一般に活動は鈍化し戦闘意識は著しく低下し、茫然たる者も多数見受けられた。
(ホ)全身症状
全身症状
被爆後1時間には既に著明な全身脱力感、違和感、疲労感を覚えた。全身の植物性神経系統に変調を来たした為であろう。これは時間の経過するに伴い甚しく翌日の如きは一同生ける屍の如く唯ごろごろと寝転んで、起上り、働く気力を失っていた。不眠、食欲減退があった。レントゲン照射後に見られるレントゲン宿酔の軽度のものの症状に似ていた。なお変調を来たしたものには尿量の減少がある。これは著明であった。口渇が頻に訴えられた。唾腺に障害を受けたからであったろうか。汗は当日と翌日はその量が減退した。
(ヘ)早発性消化器障害
消化器障害 口唇膿癌 口内炎 高熱 下痢
これは倒壊家屋内に埋没され、数時間後救出され、無事でよかったと喜んでいた人に現われ、急速に病勢悪化して第2週に何も死の転帰をとったものである。即ち被爆後1両日に口唇部に数コ乃至10コ位の大豆大の膿疱疹を生じ、その翌日頃より口内炎を発生し、次第に体温上昇し、口痛の為飲食困難となるも未だ全身症状良で安心していると、やがて食思不振、腹痛等の胃腸障碍が現われて来、ついに下痢が起って来た。この下痢は水様便で、粘液を混ずることもあり稀に血液をも混じた。裏急後重があり、上厠頻回で、体温は40度乃至42度に達し、全身衰弱刻々増加して多くは発病以来1週間乃至10日後にあらゆる対症療法の効果空しく100%死亡したのである。これは口唇より始まり消化器粘膜の炎衝が下降的に直腸にまで至ったのが主症状であるが、或は全粘膜同時に変化を起したのがその症状発現に遅速があったのかも知れない。
致死量照射
最初之は被爆地の南瓜等を食べた為と考えられたが、余等は之は、全身に致死量の放射線を受けた為のものと解釈し、唯消化器粘膜の症状が外部に著明に現われたもの、(勿論そのための栄養障碍も死を早めてはいるが)と考えたい。即ち倒壊家屋内で長時間じっとしている間中、この家屋が発する既述の2次放射線を致死量以上に受けてしまい、その作用が短い潜伏期の後発現したものである。致死量と言っても電磁波によるものは必ず潜伏期があるのだから、即死はしない。又致死量以上であったから、如何なる療法も無効であったと解釈したい。無傷のものにも、有傷のものにも見られた。爆心地に近い倒壊家屋内の人々に起ったのである。
(ト)早発性血液障害
血液障害 早発性 遅発性
血液の変化による症状を早発性と遅発性とに分ける事については異論があるかも知れない。何れも同じく造血臓器を犯された結果であるからこの項を廃して遅発性の内へ入れる論者もあろう。だが臨床上の形が早発性のものは出血性素因の状を著明に呈し、それは未だ被爆後の混乱の静まらない時期に発現した。それから世間が漸く落着き、患者も一段落であろうと安心した頃突然今まで健康体と見えた人が続々「アグラヌロチトーゼ」様症状を呈し或者は死の転帰をとり、再び人心を不安ならしめたのであって、この2者の発現時期の間には著明な間隔があった。それ故余等は2者を別々に記載するのである。
出血性素因
第2週に入るや少数例ではあったが突然出血を来たし死の転帰をとるものが現われた。それは被爆後貧血の次第に強くなる人に見られた。衄血を出し如何にしても止らず死亡した者、かねて十二指腸潰瘍のありしものが下血した例を経験した。これは恐らく血小板の変化による出血性素因を招来したのであろう。吐血例も間接に聞いている。
(チ)遅発性血液障害
貧血 高熱 口内炎 歯齦出血 咽頭炎 皮下出血 斑点
第4週の初から第8週頃に至るまで皮下出血斑を特徴とする患者が続発した。それは爆心地から5百米乃至1粁位の範囲内に居て、閃光を全身に受けた者、或は倒壊家屋に埋没されて数時間その侭であった者、爆撃直後長い日数爆心地付近で壕内生活、仮小屋生活を続けた者に見られた。最初は元気で後片付けに働いていた者が多い。
顔色が貧血状となり、全身倦怠が次第に増して、突然体温上昇し、歯齦、口内粘膜に米粒大の有痛性の膿庖を数コ発生し、やがてひろく口内炎となり、歯齦より容易に出血し、此処に不潔な、黒紫色壊死を生じ、後化膿し、又咽頭炎を発し義膜を生じ、扁桃腺或は其付近に潰瘍を生じ、激痛の為飲食困難乃至不能となる。皮膚は一帯に帯緑の蒼白色を呈し、点々と小豆色の斑点を発現する。始め躯幹、上膊に生じ、次いで全身に現われるが大褪に多発する。大いさは止針頭大から米粒大、小豆大のもの最も多く、拡大して小指頭大に達するものもあり。又血泡となった例も少数みられた。互に融合する傾向は少い。治癒に当っては痕跡なく短時日間に消失した。
疼痛、瘙痛はない。これらの症状は「アグラヌロチトーゼ」を思わせた。白血球数は著しく減少しているであろう。小児は早期に発症し、老人は遅れて発病した。症状に軽重があったが、その差を生じた原因としては勿論放射線の照射量が第1であるが個人の体質、年齢、健康度も又関係した様である。死亡率は他の救護所の噂では高かった様であるが、余等の患者では約20%である。
合併症
合併症として肺炎が2例あったが、これは咽頭炎の為誤嚥をなし嚥下性肺炎を生じたものであった。消化器障害、頭髪の脱落もかなり多数みられた。本症が類火傷患者に見られなかったのは注目すべき現象であった。
(リ)間接的障害
皮膚炎
爆撃を受け植物も枯死した。翌日朝この枯れた草を刈り取った農夫が次の日より草に触れた部分即ち両手両足及び担った肩に有痒性紅色の丘疹を生じた。それは「かぶれ」に似ていた。余等は1例観察したが、他にも在ったと言う話である。
化膿
爆撃数週間後より蚤・蚊の刺痕が膿疱疹と化するものが続出した。又小創が化膿し易くなった。これ等は全身抵抗の低下に基くものと解釈される。
(ヌ)其 他
以上余等の観察例のみについて述べたのであるが、それは極めて少数例である。他の救護機関においてこれ以外の症状が観察せられたかも知れない。
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