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1.被爆者の基本情報および医療情報資料
 
 1968年の時点で長崎市在住の被爆者情報をコンピュータに登録しています。
主な情報は、基本的情報約14万件、定期健康診断結果約300万件、死亡原因約4万件などです。


2.被爆者の剖検資料
 
 長崎大学医学部病理学教室で解剖された全症例の基本台帳、病理解剖記録をはじめ、剖検診断ファイル(約10,000症例)、氏名検索カード(約13,000症例)、臓器(約5,000体)を保存しています。


3.記録・報告書
長崎医科大学第11医療隊  原子爆弾救護報告 長崎医科大学第11医療隊
原子爆弾救護報告
詳細

第11医療隊隊長 永井 隆が学長に提出した報告書。8月12日から2か月間、三山で診療した患者125名の詳細な記録と放射線による病変の特徴や原爆の将来などについてまとめられている。

長崎医科大学第11医療隊  西浦上三山救護班作業報告書 長崎医科大学第11医療隊
西浦上三山救護班作業報告書
詳細

第11医療隊隊長 永井 隆から長崎県防衛本部長、長崎市長および西浦上出張所長に宛てた報告書で、昭和20年8月12日から22日の11日間の川平町(26名)と三山町(65名)での巡回診療の内容と患者の病状等について記載されている。

残存放射能測定報告書 残存放射線測定報告書 詳細

九州帝国大学篠原健一教授が昭和21年9月に長崎医科大学の放射線測定を行った報告書を永井隆が学長宛て報告したもの
長崎大学図書館医学分館所蔵

原爆被災復興日誌 原爆被災復興日誌 詳細

原爆被災の状況については「私の原爆体験と原爆障害の大要」で 参照できる。本項は医大再建についての記載である。

昭和20年8月9日の原子爆弾に依る  被害状況 昭和20年8月9日の原子爆弾に依る被害状況 詳細

基礎学科教室、附属薬学専門部、風土病研究所、本館および附属医院で被災した当時の教授、医局員、看護婦、職員及び学生の生存数と死亡数が記載されている。

長崎大学医学部救護班編成会議  議事録 長崎大学医学部救護班編成会議
議事録


新興善医院および諫早医院における会議議事録。

長崎原爆の記録 長崎原爆の記録
泰山弘道著

マンハッタン報告書(マイクロフィルム) マンハッタン報告書(マイクロフィルム)

1946年4月、バーネット大佐からウォーレン大佐に提出された「広島と長崎におけるマンハッタン管区団原子爆弾調査団」の最終報告書。被爆50周年(1995年)に長崎放送の関口達夫氏がアメリカの国立公文書館から入手したもの。

大村海軍病院における長崎医大日記 大村海軍病院における長崎医大日記

昭和20年9月24日から12月2日の間の大村海軍病院における長崎医大の医師や学生の日々の行動を週番が記録したもの。

巡回診療班カルテ 巡回診療班カルテ
復員青年医師9名が古屋野学長の許可を得て9月30日から巡回診療を行った。カルテ137枚には被爆距離や白血球数が記録されている。
附属図書館医学分館所蔵

日米合同調査団診察記録 日米合同調査団診察記録

長崎医科大学で被爆した161名の診察記録。
附属図書館医学分館所蔵

長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察 複写用原稿 長崎に於ける原子爆弾傷害の
統計的観察 複写用原稿

長崎医大の調 来助教授の調査報告書の原稿複製を目的に作成されたと考えられる。昭和45年6月12日 当時、広島大学の学長であった飯島宗一氏より広島大学原爆放射能医学研究所(現:広島大学原爆放射線医科学研究所)に寄贈された。調 来助氏から飯島宗一氏に渡った経緯は不明である。
所蔵 広島大学 原爆放射線医科学研究所

長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察 原本 長崎に於ける原子爆弾傷害の
統計的観察 原本
詳細

長崎医大の調 来助教授が、1945(昭和20)年10月下旬から半月間の調査内容をその後約1年間かけて執筆したものである。
長崎の被爆者を対象とした医学的調査としては、最も早い時期に実施された調査である。英文の抄訳が米軍の医学雑誌「ミリタリーサージョン」に掲載されたが、原文の形では長く未発表だった。1982年、被爆当時の日記とともに「医師の証言 長崎原爆体験/調来助・吉澤康雄」(東京大学出版会)に全文が掲載された。
2006年、ナシム出版事業として英文が発刊された。
所蔵 調 朝子

昭和20年8月9日の原子爆弾に依る  被害状況 昭和27年原爆班研究報告 詳細

1952年(昭和27年)に「原子爆弾災害調査研究」が文部科学研究費総合研究として組織された。初年度に各委員から提出された報告書および手紙である。長崎においては調 来助教授がとりまとめを行っていた。
日本学術会議から1951年(昭和26年)8月に「原子爆弾災害調査報告書 総括編」が発行され、続いて1953年(昭和28年)5月に「原子爆弾災害調査報告集」が発行された。原爆から2~3年後、原爆調査研究は一旦収束したかのようであった。その後、1952年(昭和27年)から再開された。初年度のため、報告書は未発表または研究中とされている。
所蔵 広島大学 原爆放射線医科学研究所



4.職員関係
原子爆弾当時人員一覧表 原子爆弾当時人員一覧表 詳細

職員・学生の生存者と死亡者の人数。職員:生存411名、死亡346名。入院患者及付添人:生存54名、死亡73名。学部:生存189名、死亡146名、不明32名。医専:生存144名、死亡254名、不明26名。薬専:生存171名、死亡40名。

原子爆弾統計表 原子爆弾統計表

各教室別の教室員、入院患者および付添人の生死状況(手書きの名簿)。教室には臨床と基礎がある。

原爆当時の死亡者及び生存者名簿 原爆当時の死亡者及び生存者名簿

各教室別に死亡者及び生存者の職名、氏名が記録されている(「原子爆弾統計表」を謄写版印刷したものと思われる)。

長崎医科大学報国団役員名表 長崎医科大学報国団役員名表

昭和18年10月の役員名簿。団長の角尾晋および理事、班長の氏名が記されている。

日本育英奨学金受給者に関する記録 日本育英奨学金受給者に関する記録

昭和24年2月、学生課で作成された戦災死亡者の育英資金返還の免除願いなどの資料。

遺骨引渡一覧表 遺骨引渡一覧表

8月14日から9月末までに遺骨を引き渡した名簿。


5.その他の資料
永井隆博士の  サムエルベルグ医師宛ての私信 永井隆博士の
サムエルベルグ医師宛ての私信


1950年2月7日、永井隆がサムエル・ベルグ先生にあてた手紙(返還資料)。

文部大臣弔辞  (昭和20年11月2日) 文部大臣弔辞
(昭和20年11月2日)

昭和20年11月2日、文部大臣前田多門の長崎医科大学の殉難者に対する弔辞。

医科大学の建物被害状況地図 医科大学の建物被害状況地図

米国戦略爆撃調査団報告書(55~63ページ)および関係者の証言により作成した。

医科大学附属医院の建物被害状況地図 医科大学附属医院の建物被害状況地図

米国戦略爆撃調査団報告書(72~95ページ)および関係者の証言により作成した。

長崎医大報国隊腕章 長崎医大報国隊腕章
寄贈:小寺健次郎氏

マッカーサーへの嘆願書 マッカーサーへの嘆願書

1946年11月、古屋野学長と松下学生委員長がマッカーサー宛に、大学の復興を嘆願した手紙(故松下兼知氏より中根允文元精神科教授に渡されたもの)。

教授会開催通知 教授会開催通知

角尾学長より内藤教授へあてた昭和20年8月8日の教授会開催通知。議事は論文受理と論文審査。報告事項は学長の出張報告。

故内藤勝利教授の名刺 故内藤勝利教授の名刺

当時、長崎医科大学附属院長であった。

学校教員学生生徒旅客運賃割引証 学校教員学生生徒旅客運賃割引証

昭和19年3月に発行された故内藤勝利教授の旅客運賃割引証。

本部の焼跡から掘り出された『長崎医科大学』と『医学専門学校』の校印。印材が石であったため残存した。 本部の焼跡から掘り出された『長崎医科大学』と『医学専門学校』の校印。印材が石であったため残存した。
青木義勇 記(附属図書館医学分館所蔵)


6.原爆関係図書
 
 邦文、英文の原爆に関連した図書(約300冊)を保有しています。


ENGLISH
  長崎原子爆弾の医学的影響  
  原子爆弾救護報告書:永井隆  
  原爆の医学的影響:西森一正  
  私の原爆体験と原爆障害の大要:調 来助  
  調博士の調査資料  
  マンハッタン最終報告書  
  保存資料  
  医師らの被爆体験  
  原爆医学資料展示室  
  子どもたちの原爆Q&A  
  原爆被爆者データベース  
  原爆復興70周年記念:原爆被災写真・資料展  
  原研創設50周年記念企画展:原爆投下直後の調査と研究  
  永井隆博士没後60年企画展  
データベース構築30周年記念講演会
被爆60周年記念 医師らの被爆体験講演会
 
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