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医家原子爆弾体験記録

長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌)
長崎医科大学精神科 助教授 松下兼知(41歳)

8.9
 原子爆弾が投下されて、がらがらという落下音をきいて数秒、中天(大学本部玄関に向って右方松林上空)に流星の如き青白きRadiarに光る瞬発閃光を(精神科教室の階下助教室の北側の窓きわに於いて)体の左上半身に浴びて2、3秒天地は鳴動して(極めて近距離にさく裂音を聞くと同時に)私は床下にドシンとぬめる様に叩き落された。眼前はくらみ、その瞬間、自分はこのまま死んでゆくのだろうと思った。然し未だ意識がある。手、足、身体がうごく。あっ難を逃れたのだと直感する。あたりを見れば目が見えない。ガスのため失明したのだと思う。頭部、背中がベタベタする。外傷を受けたらしい。多量の出血である。洋服の上衣はズタズタである。出血するらしいところを3、4ヶ所、三角巾、ゲートルで止血を行う。もがく様にして暗がりの中を腹這い出づれば病院全体、土壌と家屋倒壊と死者負傷者で以ってさながら生地獄の場面を呈しておる。御真影が気になり腹這い上る様にして雨天体操場迄辿りつく。既に生理教室、御真影の倉庫は火焔に包まれておる。学校には殆んど職員も学生達も見えない。只2、3の職員学生が倒壊家屋の中から腹這い出てくるのを見る。火災が方々に起った、致し方なく大学本部裏山に避難する。間もなく曖気、嘔吐が時々起ってくる。胸苦しく、息切れがする。途中(大学裏手?)で倒れる。其後の事は意識ははっきりしないところがある。手運び(吉村君)及担架(師範生徒)にて道の尾に運ばれた。翌朝初めて意識清明となる。全く夢の様である。
8.10
 道の尾収容所にては特別処置もうけない。その日汽車にのせられ(担架にて)疎開先多比良町(南高来郡)に運ばれた。夜の12時過つく。
8.11
 外科的処置を始めて受く。全身血まみどろである。傷口以外はお湯で拭く。ガラス破片、木片による外傷大小様々14ヶ所。幸に火傷はない。頭部(頭頂部、後頭部)左肩、左背(胸部にかけて)の外傷がひどいらしい。殊に左肩、背中の傷は相当に深いらしい。ズキズキ痛む。頭部、背部よりスリガラス小破片5、6個を取り出す。無熱である。
8.12
 朝は気分がよい。然し間断なくB29の編隊は多比良の上空を通過す。時々漁船に機銃照射をなすらしい。その度精神不安昂ず。空襲警報の発令と共に附近の壕にはいろうと思い無理に起きあがろうとすると頭痛がする背中が痛む。身体がとても重たい。午後は微熱がある。気分が悪るい。
8.14 (終戦)
 身体が水中にひっぱられる様な、鉛の様な重たいものを全身にかかえている感じである。起きあがろうとすると重圧感が加わる。足の方へ血液が下る様な気がする。身体が重たい重たいと家人に話す。午後は大抵37.2℃の微熱がある。外傷のためとして余り気にしない。
8.18
 擦過傷は大分治癒しかけた。頭部、左肩2ヶ所背中の傷はなかなか治りが悪るい。殊に2、3日前より背中、頭部が針で刺す様にチクチク痛む。圧すると痛みがます。未だ異物が傷にはいっておるらしい。然も深部らしい。その夜は殆ど眠れなかった。Vitamin Cを毎日注射する様にした。
8.19
 痛みはますます増すので、頭部背中、肩の切開をして貰う。泥状の暗赤色の血が多量出てくる。其の夜は悪寒があって38.7℃に上る。傷の切開のためと思い気にしない。
8.22
20日21日は37.4-5℃の熱がつづく。気分が悪るい。食慾不振となる。午後体温37.8℃である。
8.23
 朝より38℃である。咽喉が痛い。風邪を併発したと思う。アスピリンを飲んだが余り効かない。ルゴールG液を塗布す。2%ホーサン水の含嗽をなす。
8.24
 歯齦より出血するのに気付く。なんだか顔がはれて来た様にある。咽喉、扁桃腺は膨脹して痛みも強い。体温はだんだん階段状に上ってくる。どうも容体がおかしい。
8.25
 扁桃腺は左右ともに膨張して来た。流動食でなければはいらない。顔面の浮腫もまして来た。精神的に不安になる。歯齦出血は止まない。

8.26
 いつ頃から出来たのか気付かなかったが腕、下肢、腹部に蚤に咬まれた様な少さい皮下溢血が散在的に認められた。注意して見ると手掌にも出来ておる。尿は濃縮し茶褐色である(血球も出るらしい)。顔面は青ざめた白蝋の様な色をしておる。軽度の腹痛がある。下痢に近い軟便である。頭髪、まゆ毛がポロポロ抜ける。初めて輸血を行う。50g O型。
8・27
 体温は40.5℃(夜間)譫妄状態になる。死の宣告を受く。白血球300~400個(後より聞く)輸血2回。午前80g、午後50g。
8・28
 朝意識清明。歯齦出血は止まったらしい。但し依然として39.7℃の高熱である。前日の白血球計算のために行った(左)耳穿刺部位はnekrose様になり、痛みがある。左淋巴腺が雀卵大に膨張しておる。該部に2%ホーサン湿布をなす。考えると奇妙である。ここ4、5日全然汗をかかない。身体はカサカサして乾燥しておる。輸血2X、午前午後50~80g。
8.29
 再び死の宣告を受く。一切を断念す。輸血2X午前・午後50~80g。
8.30
 4、5日つづいた39.7℃~40℃台の熱が今が初めて最高39.5℃である。夕方少し発汗がある。下唇に小さい血濃胞が出来ておる。丁度俗にいう血まめに似ておる。輸血2X。午前・午後50~80g。
8.31
 体温38.8℃になる(ここに奇せきを信ずる、熱は疾病のすすむ方向を指す指針である)供給者も多数予約出来た。(戦時中市民、県民に血液型を検査する事の必要をといて学生達と飛び廻わったが、血液型を別にしらべずともO型の人が申込んでくれる。有難味を感ずる)
9.1
 下唇の血膿胞は破れて潰瘍様になる。グリセリン・ホーサン水を塗布す。38℃台に下る。扁桃腺の痛みも大分軽くなる。左頭淋巴腺の肥大も大分小さくなる。頭髪・まゆ毛はボロボ口抜ける。
皮下溢血もその后あまり現われない。尿量が多くなる。時々発汗する様になる。夜多量の発汗あり、着物を2~3度着替える。
9.2
 朝37.3℃である。一般状態は良好である。尿量も多い。然し今迄見なかった胸鎖乳嘴筋(左方)が緊張して少し膨張しておる。熱感がある。該部に2%、ホーサン水の湿布をする。夜猛烈な寝汗をかく。
9.4
 一般状態極めし良好、午後37.2℃になりしのみ。
9.7
 歯間・間隙が大きくなっておる。歯齦の出血のためらしい。歯槽神経(下歯左第三歯)が抜け出て来た。夜多汗。
9.8
 朝起ると痙攣性に咳嗽が出る。痰も多い。血痰ではない。その病状はその后5~6日つづいた。然し無熱である。
9.18
 白血球9500。下唇の腐燗治癒、外傷は未だ完全に治癒しない。肉の上り方が遅い。下肢に筋萎縮が及ぶ様に思われる(之は全身羸痩のためと分る)頭痛あるため脳圧亢進と判断し腰椎穿刺を受く。2週間は頭痛増悪す、その后は頭痛消失)
10.20
 白血球5500、長途旅行に堪ゆ。
12.20
 頭髪・まゆ毛、再生。災害前に比し濃厚になる。
21.4.7
 白血球7500。癤瘡が出来易い。風邪に冒され易い。(本年度既に3回)精神興奮発力が少々欠如しておる様である。

総括
原子爆弾災害後直后顧はれた第一次症状:閃光を浴びてのち皮膚の色土色に変ず顔色どす黒く見ゆ。曖気、嘔吐(ガスの香がうせない。)外傷により出血多量。脱力感、意識不鮮明。多少譫妄状。
災害後の第2次症状:微熱、脈搏速、身体の重たい感じ。外傷治癒困難。
第3次症状(高熱時):階段的に上昇する高熱。熱型持続的。最高40.5℃、歯齦出血、咽喉、扁桃腺腫脹、発赤、疼痛。嚥下困難、顔面浮腫、皮下溢血。尿濃縮(血球出現)、腹痛。下痢に近い軟便。頭髪、まゆ毛脱毛、左耳穿刺部位nekroseの様になる(左の淋巴腺肥大)。発汗全くなし。皮膚は乾燥す。下唇に血膿胞形成(俗にいう血まめに似たもの)。下熱する2~3日前から寝汗(多汗症)甚し。白血球減少症
第4次症状(下熱后):寝汗、多汗症、頭髪脱毛顕著、左胸鎖乳嘴筋の腫脹、熱感、緊張感。下唇の血膿胞破れ、糜燗す。歯間の隙大きくなる。歯槽神経(下歯左方三歯)抜ける。左顎・左肩緊張感。痙攣性咳嗽、痰(血痰にあらず)、頭痛。白血球増多症(一時的)
災害4ヶ月後の第5次症状:頭髪・まゆ毛再生(Reizdosis?)精神興奮力欠如、倦怠感
災害9ヶ月後の第6次症状:癤瘡が出来易い。風邪をひき易い。精神興奮力欠如。(身体・抵抗力多少減退?)

処置並に治療
イ、原子爆弾受傷後直ちに三角巾、ゲートルを以て止血を行う。
ロ、爆心地を当日離る。
ハ、疎開地にて絶対安静、並に外科的処置を受く。
ニ、Vitamin C 密柑水を多量とる
ホ、高熱時、直ちに輸血を受く(回数22回)、日に大抵2回行う。
へ、頭に湿布を間断なくなす。
 以上の内輸血が最も効果的にして実施後歯齦出血が3日目より完全に止まる。
 又湿布も捨てがたい。飲酒も試したが悪い影響は及ぼさない。
 外科的処置として切開手術は禁物である。腰椎穿刺は一考を要する。



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長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌)① 長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌)② 長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌)③
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